
夏の花火もそろそろ終わりです。
夏の終わりの、ほんの一瞬だから、花火はすがすがしいのかもしれません。その花火も、さまざまな物質を空気中に「散らかしています」。
私たちの「散らかし」は、私たちが、ほんの一瞬に生き、ほんの小さな存在だから良いのでしょう。
じつは、地球も、さまざまなものを「散らかしています」。噴火もその1つです。遭遇すれば、どんなに小さなその活動に対しても、私たちは恐怖と畏敬の念を持つものです。しかし、地球という存在から見れば、その一つの噴火は、「数十億年の花火イベント」のほんの一花ということになるでしょう。
地球は数十億年かけてゆっくり「散らかしています」。
地球は、ものを「集めてもいます」。
今、世界中で、人類が「自分のところに集めようとしている」石油はどうでしょう。数十億年前の生き物の死骸が「集まって」、圧力が加わってさらに「凝縮されて」、あの液体の姿になったものです。川の河口に「集まった」土砂も数十億年かけて、さまざまな外力が加わって「凝縮されて」堆積岩という石に生まれ変わります。
私は、普段、しょっちゅう、物を「散らかして」叱られます。数分もたてばまた「散らかり」ます。「鮭の遡上」現象
http://architecta.blog64.fc2.com/blog-entry-10.htmlが示すように、生き物はよく物を散らかすのです。
地球もやはり「集めたり」「散らかしたり」しているのです。ただし、そのスピードは数十億年という、生き物から比べると、とてつもなくゆっくりしたものなのでしょう。
そこのところが面白いのです。
集めたり散らかしたり、の「地球のイベント」について語り合う機会が多くなりました。
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