
「和」の暮らし
エクセルギーハウス川越の打合せ。
楽しい時間です。
はじめての日のことを思い出します。
「自然の恵みで暖冷房するの、いいですね。それに、排水は浄化したいし、非常時に飲める水があったらいいな、お風呂の水も有効に使おうよ」とご夫婦からの、お話です。
「がんばって、おこたえしてゆこう」と、頭の中に、今まで育てていただいたさまざまな方を思い浮かべながら、そう思いました。
お住まいの町かどにある、熱心な手作りパン屋さんのこと、ご近所からの頂き物の有機野菜、そして「身土不二」。
家族のこと、これから誕生するであろう家族のこと、と打合せを重ねるごとに、ご夫婦らしい家の姿が浮かび上がってきます。
そのなかで、大切なところに深くとどくジャブを頂きました。
御題は、「和」の暮らしです。
畳や、障子、床の間、などという、見える部分に限られた「和」ではありません。
「ソファーに、ふんぞりかえっていたはずが、ずり落ちて、床の上」という私たち多くの日本人が実感している、消そうとしてもけっして消すことのできない、遺伝子に刻まれているのではないか、と思われてくる、あの「和」の暮らしです。
大げさではなく、明治維新後、冠となっていた「西欧化」が、そうした根本の「和」、「和」のしくみや「和」の暮らし、について、今なおしっかりと見つめなおす機会を失わせてきているように思えます。たとえば、西欧化が先に導入された都会のものにくらべ、雛なる地域のそれは劣っている、と今でも思われているのではないでしょうか。実際、私たちのおじいさんたちが暮らしていた、どこにでもあった田舎のかやぶき民家などについて、建築構造学的に本格的な研究が始まってから、まだ10年ほどにしかなっていないことなど、お伝えするのもはばかれます。
さて、「和」の暮らしをどのように見つめなおしていくのか、楽しみです。
写真は、私の好きな崇廣堂の様子です。
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