
■建物とその環境、支えてくれた音楽と言葉:keyword■
鑑賞や思索に、もってこいの季節です。
久しぶりに、遠出の散歩に出かけました。腰越商店街で、目抜通りの中央を、車とともにとろとろと通り抜ける、海辺の路面電車に乗ります。波乗りの様子をのどかに楽しんだ後、大仏が座する長谷で降りると、ほどよい賑わいです。
「我が家は山を背に、海が眺められます。」といった風に、自分の住まいを、地形風土をもって説明できたのは、まだ、それほど昔のことではなかったと思います。今は、何処もかしこも、切断面を平気で露わにする道路や、高さを競う建物の乱立によって、ナビにしゃべらせないかぎり、自分の家の立地を説明できないような街になっています。これでは、心和むふれあいは育まれないでしょう。
その場の地形風土をもって、その建物の立地が説明できるように、地域の中に建物がどのように立地したらよいかを住まい手と一緒になって考えること、建物とともにその環境をみつめる時間、それが充実するのは、そうした心和むふれあいを育みたいという潜在的思いの表れかもしれません。
長谷のあたりは、まだかつての町の面影を残しています。
鎌倉文学館は、明治時代に居を構え、その後建て替えた、かつての前田侯のお屋敷だそうです。その時代の建物ですから、必ず、地形風土で説明できる位置にあるはずです。そんな勘を働かせて、大仏脇の小さな山の裾をめざして歩きました。予想通り、素晴らしいロケーションです。
そこで、吉田秀和氏の活動軌跡の映像に出会うことができました。95歳になる氏は矍鑠として、どきどきするメッセージを送り続けておられます。氏の表現は、音楽を無限に広げ、不条理を超える深い世界にして私たちに届けてくれます。
「刺激ばかり満載の快感作品」の氾濫のなかで、その対極の作品の価値を、心に響くメッセージにして伝えてくれるのです。そして、それは、常に堂々としているのです。
映像のなかで、取り上げられ、流れていた数数の音楽は、断片的であるにもかかわらず、氏の描いてきたドラマと重なり、演奏会にもまさる協演となり、私は、うれしさのあまり、涙が出てきてとまりません。
音楽に、通りすがり程度にしか触れてこなかったと思える自分なのに、実は、ほぼ青春の全期間に、折々にすばらしい音楽と出会えていたことがわかり、「良かったなあ」と思いました。
そして気がつくのです。その折々の吉田氏のメッセージが、自分が生きること、自分が建築設計に携わること、に強い勇気を与えてくれていたことを。
音楽と建築はつながっていると、ずっと思ってきています。 「音楽を言葉に」の軌跡を楽しむ散歩をお勧めします。
鎌倉文学館 企画展 吉田秀和 「音楽を言葉に」
http://www.kamakurabungaku.com/ 12月14日(日)まで
次回は、「太陽熱温水器(その2)」にします。
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