
■環境を救う建築、エクセルギー、系統電力:keyword■
あけましておめでとうございます。
大晦日から、飲みすぎ食べすぎの甘い生活を送っています。
今日は2日。事始めです。原点をみつめることから始めようと思います
放っておくと、甘く、怠ける方向に流れてしまう性分ですから、便利なものには飛びつきます。
多かれ少なかれ、私たち人間にはそうした面が備わっているようです。
そうした性分が、私たちが大きな思い違いをしていたことに、長い間、気がつかせないように働いていたのだと思います。
今こうして、コンピューターに向かっています。結ばれたケーブルによって、世界と結ばれているのです。本当に便利なものです。昨晩も遅くまで、灯りをつけていました。夜でも昼間のように楽しめます。本当に便利なものです。電気なくしてこうした生活はできません。
系統電力の存在は、今や、私たちの血液の流れと同じくらいに、実感をすることもない存在であって、かつ、とにかく便利なものなのです。
20世紀には、こうした便利なものが沢山普及しました。今日は、その内の一つ、系統電力にふれます。
武蔵工大の宿谷昌則先生は、エクセルギーの理論を、建築や環境の領域で活用する研究をなさっておられます。ローエクセルギー建築研究会を世界でリードされています。日本建築学会も、最先端の研究として、学会賞を授与しています。
先生の研究からお借りします。
なんと、私たちが便利と思っている系統電力は、発電所で10の資源が投入されても、家にはそのうちの約3割しか届かず、蛍光灯の灯りとして活用されているのは、全体の約1割でしかないという、極めて合理的ではない状況にあるのだ、ということなのです。
とても信じたくありません。こんなに便利な電力という存在なのだから、どうしても、もっと効率の良いものと信じたいのです。
しかし、この非合理的状況は、現実なのです。
見回してみると、20世紀に誕生した、遠くのものを活用したり、遠くへ運んで片づけるといった、さまざまな便利な仕組みには、同じような非合理の状況があることがわかります。
仮に蛍光灯機器の改良開発で、1割という大きな省エネが実現できたとしても、系統電力を用いる限り、それに使われる資源は、1%しか削減できないことになります。
つまり、今一生懸命進めている省エネ活動も、その視点だけでは重箱の隅をつついていることになりかねないと反省されられます。
系統電力に頼りすぎない生活を考えることが、大きな効果をあげる活動になることに気がつかされるわけです。
でもそんなことができるのでしょうか。
現時点ではできないこともたくさんあります。
手をこすり合わせて、どうか系統電力に頼らないで暮らせますようにと念じてみます。
一生懸命に擦れ合わせます。
すると、手の周りが暖かくなってきますね。
つまり、熱に関しては、電気に頼らなくても、他にさまざまな方法で、容易に作り出すことが可能なのです。
そこで、エクセルギーハウスでも、暑さ、寒さに関しては
系統電力に頼らない方法を採用しているのです。
コンピューターや、制御回路などの、住まいや社会活動の頭脳部分と言えるようなところには、電力が最適でしょう。しかし、その消費量はたいして多くありません。
今日もよい天気です。
窓をあけ、雨戸をあけます。すると、太陽のエネルギー(資源)が、100%入ってきて、部屋を明るくし、暖めてくれます。便利なスイッチに手を伸ばします。蛍光灯がつきます。発電所で投入された資源の1割分しか灯りになっていません。
便利なことは必ずしも合理的ではないのです。
窓を開けてみたり、スイッチに手をやってみたりして、比較して、便利とは、一体何のことなのだろうと、2日から、半分酔った頭の中をめぐるのです。
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