
「さしみ」というお魚には骨がないそうです。
というふうに思い込んでいる子供たちがいると聞いて「こんなことでは」と嘆いていた自分も、
畑を眺めるようになって、まったくその子供たちと同じ状況に居るのだなあと痛感しています。
「小松菜も、ターツァイも、青菜も、みんな根のところから分離して葉がたくさん出る、ロゼッタ型の植物なのだ」と信じていました。
しかし、実はしばらくすると、いくつもの枝が伸び始め、そこにそれまで見てきた葉とは、まったく違う形状の葉をつけるようになり、花も咲かせれば、地下には大根状のなりものもつくってくれていたりすることなど、まったく知りませんでした。
市場には、ロゼッタ状のときに収穫した物だけが、出回っていたのです。
我が家では、その時期に収穫せず、枝分かれしてから出る若芽や花が主に食卓に登場します。この方法だと、かなり長い期間、このての菜っぱを楽しめることがわかり、重宝しています。
お刺身にしても、小松菜にしても、日ごろ、「商品」しか目の中に入ってこないような生活を送っていることに気がつかされます。商品としてのそのものは、実はそのもの自体の、ほんの一部しか見せてくれていないということが分かります。
「商品よりもそのもの自体をしっかりと見つめてあげたい」と思うようになりました。車や建築も同じ状況にあります。商品としてそのものを見るのではなく、しっかりとそのもの自体を見つめることによって、そのものとの新しいかかわり方をはじめとして、無限大の可能性が広がるような気がするのです。
写真の人参は1年目のものです。実は人参も放っておくと2年たっても成長し続けます。味が濃くなり、どうしてなのか分かりませんが、種が異なるのに朝鮮人参のような風味がでます。
そんなことはないと思いますが、「2年もののプレミアム人参」が高価に取引されるようになるかもしれません。
というように商品が出来上がってゆくのかと思うと複雑な気持ちです
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